テストが終わった。合格したとき、泣いたのを覚えている。

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国家試験に合格したとき、最初に泣いた。
嬉しくて泣いたのか、やっと終わったと思って泣いたのか。たぶん両方だった。
3年間のテストとの戦いを、振り返ります。

3年間、テストと向き合い続けた

入学試験から始まって、毎月のように試験があって、最後に国家試験。看護学校の3年間は、ずっとテストと向き合い続けた日々だった。

40代で再び「受験生」になるとは思っていなかった。子育てしながら、働きながら、深夜に参考書を開く日々。しんどくないと言えば嘘になる。

合格の知らせを受けたとき

合格したとき、最初にしたのは泣くことだった。

嬉しくて泣いたのか、やっと終わったと思って泣いたのか、自分でもよくわからなかった。たぶん両方だった。頑張ってきた自分へのご褒美みたいな涙だった気がする。

もう試験はない、それだけで楽になった

もう試験はない。それだけで、ずいぶん楽になった。次の試練は仕事の現場にあるけれど、あの勉強漬けの日々は終わった。

動いてよかった。それだけは確かだ。

試験勉強中のあなたへ。必ず終わりが来ます。
今しんどくても、合格の涙はきっと最高です。
応援しています。一緒に頑張りましょう。

合格発表の朝のこと

合格発表はインターネットで見た。朝早く起きて、パソコンの前に座った。子供はまだ寝ていた。夫も寝ていた。ひとりで画面を開いた。受験番号を確認する手が、少し震えていた。番号があった。自分の番号が、そこにあった。声が出なかった。泣いたのは、しばらく経ってからだった。静かに泣いた。あの涙は、3年間を一緒に生きてきた自分自身への、ねぎらいだったと思う。

3年間、一番しんどかったのは孤独だった

しんどかったのは、体力や勉強だけじゃなかった。孤独だった。同級生はほとんど年下で、生活環境が全然違う。「わかってくれる人がいない」という感覚が、一番きつかった。だから合格したとき、大きな声で喜ぶ相手がいなかった。家族に報告したら「よかったね」と言ってくれた。でも、その言葉の重みを共有できる人はいなかった。ひとりで泣いたことが、その孤独の象徴だったような気がする。

それでも、受かってよかった

孤独でも、しんどくても、受かってよかった。あの合格通知が、今の私の土台になっている。免許がある、という事実が、毎日の仕事の支えになっている。もし不合格だったら、もう一年やれたかどうか、正直わからない。受かったから今がある。だから合格発表の朝のことは、忘れないでいようと思っている。

国家試験合格が、自分の基準を変えた

国家試験に合格してから、自分の中の「できない」の基準が変わった気がする。あれだけ大変な試験に合格できたなら、多少のことはできる、という感覚が生まれた。根拠のない自信じゃなく、実績に裏打ちされた感覚だ。

職場に入って、初めてのことばかりでしんどかった時期も、「国家試験よりしんどいことはない」と自分に言い聞かせた。実際そうだったかどうかはわからない。でもその言葉が、踏ん張るための支えになった。あの試験を乗り越えた記憶が、その後の私を助けてくれている。

テストが終わった日のことを、今でも思い出す。試験会場を出たとき、空気がいつもより美味しかった。解放感と疲労感が混ざった、あの感覚。あれ以来、自分に「もう無理」と言いそうになったとき、あの日を思い出すようにしている。乗り越えた記憶が、また乗り越える力になる。

合格してから数年が経つけど、あの発表の朝の静けさは忘れない。誰もいないリビングで、ひとりで泣いた。誰も起こさなかった。あの涙の意味を、今でもうまく言語化できない。でもあれが、私にとっての一番大切な瞬間のひとつだったことは確かだ。静かに、でも確実に、自分の人生が変わった朝だった。

テストが終わった瞬間、教室の外に出て泣いた。合格の通知が来たときも泣いた。自分でも驚くくらい涙が止まらなかった。それだけ必死だったのだと思う。あのテストは単なる試験ではなく、自分の可能性を証明するための戦いだった。合格してからも、その気持ちは消えていない。むしろ、あのときの自分を裏切らないように、今も働いている。

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