看護学校の実習中、何度もトイレで泣いた。
記録が書けなかった。何を書けばいいのかわからなかった。夜中の2時まで机に向かって、それでも一行も進まなかった。
翌朝、指導の先生に「これじゃ話にならない」と言われた。廊下で、他の実習生がいる前で。
その場は堪えた。でもトイレに駆け込んで、声を出さないように泣いた。そういうことが、実習中に何度もあった。
実習がしんどかった理由
看護学校の実習は、学校の授業とは全然違う。
病院に行って、患者さんを担当して、その人の状態を観察して、何が問題かを考えて、それを記録に書く。毎日それをやる。しかも翌日の実習に向けて、前日の夜に計画を立てて準備もしなければならない。
記録が書けないと、次の日の実習に支障が出る。先生にも患者さんにも迷惑をかける。わかっているからこそ、書けないことが余計につらかった。
私は記録が苦手だった。何をどう書けばいいのか、最初は本当にわからなかった。家に帰っても、子供を寝かしつけてから深夜まで書いて、それでも終わらないことがあった。睡眠2〜3時間で病院に向かうこともあった。
体がしんどいのは当然だった。でもそれより、「自分だけがついていけていない」という焦りと孤独感の方がきつかった。
やめようと思ったことがあるか
正直に言う。あった。
実習の時期は特に、「もう無理かもしれない」と思う瞬間が何度かあった。体がしんどい以上に、自分が向いていないんじゃないかという気持ちが重かった。
30代後半で、子育てしながら、フルタイムの実習をこなしている。周りの20代の同級生たちより、体力も回復力も落ちている。それは事実だった。
でもやめなかった。理由は単純で、ここでやめたら、あの3年間が全部無駄になるという気持ちだった。感動的な理由じゃない。ただの意地だったと思う。それでもその意地が、私を動かし続けた。
乗り越えられた理由
記録は、数をこなすうちに少しずつ書けるようになった。
先生に怒られながら、修正しながら、同級生に見せてもらいながら、なんとか書き方を覚えていった。最初はまったく書けなかったものが、実習の後半にはそれなりの記録が書けるようになっていた。
患者さんと話すことは好きだった。それが支えになっていたと思う。しんどい記録も、患者さんのためになると思えば、なんとか向き合えた。「この人の役に立ちたい」という気持ちは、疲れていても消えなかった。
それと、同じように苦しんでいる同級生がいることもわかってきた。自分だけじゃないとわかるだけで、少し楽になった。
友人の言葉が支えになった
実習がしんどかった頃、30歳で社会人から看護師になった友人に相談したことがある。
友人はこう言った。
「何か一つでも看護師になる理由があれば、絶対に乗り越えられる」
そして続けた。「高い志じゃなくていい。看護師になればお金に困らないから、とか、そんな理由でもいい。不純な動機でも全然いい」と。
その言葉が、すごく楽になった。
私は「看護師になりたい」という強い夢があったわけじゃない。どちらかといえば、生活のために、自立のために、資格が欲しかった。それでいいのか、と心のどこかで引け目を感じていた。
でもその友人の言葉を聞いて、理由の大きさは関係ないんだと思えた。動機が不純でも、続けた人が看護師になれる。それだけのことだと。
実習がしんどくなるたびに、その言葉を思い出した。何か一つ、理由がある。それだけで十分だと。
実習を終えて思うこと
実習は確かにしんどかった。でも、あの時期があったから今がある、とも思う。
深夜まで記録を書いた経験が、患者さんを観る目を育てた。先生に何度も怒られたことが、丁寧にアセスメントする習慣につながった。泣きながら続けた日々が、看護師としての土台になっている。
今、実習中の人に伝えたいこと
実習がしんどくて、泣いている人がいたら伝えたい。
泣いていいと思う。トイレで泣いても、誰かに聞こえないところで泣いても、それくらいしんどい場所だから。泣くことは弱さじゃない。それだけ本気でやっている証拠だと思う。
それでも、毎日少しずつ書けるようになる。先生に怒られた記録の書き方が、いつの間にかできるようになる。今わからないことが、3ヶ月後にはわかるようになっている。
意地でいい。感動的な理由がなくてもいい。続けた人が、看護師になれる。私がそうだった。
