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その年、子供は小学校を卒業した。
私も、看護学校を卒業した。
同じ年だった。
当たり前のことかもしれないけれど、あのときは違った。
それだけで、3年間やってきてよかったと思えた。
看護学校と子育ての両立
看護学校の3年間は、子育てと同時進行だった。授業、実習、テスト、国家試験の勉強。その合間に、子供の学校行事や日常の世話をこなしていた。
参観日に行けないこともあった。運動会の準備を手伝えないこともあった。子供に「ごめんね」と言う場面が何度もあった。「ちゃんと親をできているのか」という罪悪感は、ずっとあった。
卒業式の日
子供の卒業式の日。まだ就職前だった。会場に入ったとき、子供がこちらを見て少し笑った。その顔が忘れられない。
「来てくれて嬉しい」という言葉はなかった。でも、いつも写真を撮らせてくれない息子が、その日はわたしと一緒に写真に写ってくれた。
その年、私も看護学校を卒業した。ふたりで卒業した年だった。
式の間中、ずっと胸がいっぱいだった。子供の成長を見届けられた。それだけで、何か大きなものが報われた気がした。3年間、迷惑をかけながらも続けてきたことへの答えが、あの場にあった気がした。
子供は見ている
後から子供に聞いたら、「お母さんが来てくれると思っていた」と言っていた。当たり前のように。その言葉がうれしかった。
勉強しているお母さんの姿を、子供はちゃんと見ていたと思う。頑張っている親の背中は、何かを伝えているはずだ。そう信じたい。
子育てしながら何かに挑戦している方へ。
完璧な親じゃなくていい。頑張っている姿は、ちゃんと伝わっています。
実習中に休んだ日のこと
看護学校の実習は、原則として休めない。体調が悪くても、家族の行事があっても、欠席すると補習が必要になる。それがわかっていたから、子供の卒業式に出るかどうか、直前まで悩んだ。先生に相談したら「行ってあげてください」と言ってもらえた。その言葉がなければ、行けなかったかもしれない。実習を休む罪悪感と、卒業式に出たいという気持ちが、ぎりぎりまでせめぎ合った。行って正解だったと思う。
「ちゃんとそこにいる」ということ
子供が泣いていた。普段あまり泣かない子が、卒業式で泣いていた。その横に座って、一緒にいられた。ただそれだけだけど、それが一番よかった。写真に残ることより、その瞬間に一緒にいたこと。記録じゃなくて、記憶に残った。看護学校の3年間、子供の「大事な瞬間」に立ち会えないことがたくさんあった。だから卒業式だけはと思った。あの選択を後悔していない。
報われた、という感覚はこういうときに来る
子供に「いてくれてよかった」と言われた。たったその一言で、3年間のしんどさが少し溶けた気がした。苦労が報われる瞬間って、大きなことじゃないことが多い。誰かの一言、ふとした表情、そういう小さな瞬間に来る。あの卒業式は、私にとっても卒業式みたいだった。3年間、子供の隣に十分いられなかった自分への、ひとつの区切りになった。
子供の節目に立ち会うことの意味
子供の卒業式に出られた。それだけで報われた気がした。大げさかもしれないけど、本当にそう感じた。3年間、子供の「大事な瞬間」に立ち会えないことが多かった。運動会、参観日、発表会。全部は無理だった。だから卒業式だけはと思って、実習を休む覚悟をした。
子供が泣いていた。その涙が、卒業式が終わってからも頭から離れなかった。子供がちゃんと成長していた。親がいなかった時間も、子供は育っていた。それが嬉しかったし、少し切なかった。両方の気持ちが混ざった卒業式だった。
子供の節目に立ち会うことは、子供のためだけじゃないと思う。親のためでもある。「ちゃんとそこにいた」という記憶が、親の心の支えになる。看護学校を卒業した後、子供の卒業式に出られた。その重なりが、なんか嬉しかった。お互い、それぞれの区切りを迎えた年だった。
子供の卒業式に出られたあの日を、これからも覚えていたい。3年間、子供のそばにいられなかった分、あの一日がとても大切だった。子供が泣いていた横顔、「いてくれてよかった」という言葉。それが、しんどかった3年間への一番の答えだった。
卒業式に出られたことが、あの時期の全てを肯定してくれた気がした。あの日のことは、ずっと忘れないと思う。
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