3連休、何もできなかった。それでいいと思うようにした。

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3連休、何もできなかった。
掃除も、ブログも、勉強も。ただ横になっていた。
最初は罪悪感があった。でも今は、それでいいと思っている。

何もできない休日

看護師の仕事は体と気持ちを使う。仕事が続いた後の連休は、起き上がるのも億劫なほど疲れていることがある。「休みだからやらなきゃ」と思っていることが山積みでも、体が動かない日がある。

そういう日に無理して動くと、かえって回復が遅れる。それを繰り返して、ようやく学んだ。

「何もしない」を許すのが難しかった

もともと「何かしていないといけない」という感覚が強かった。休んでいると罪悪感がある。特に看護学校時代は、休みに勉強しないと遅れるという焦りがあった。

でも40代になって、体の回復には時間がかかることを実感している。「何もしない時間」は、サボりじゃなくて回復だ。そう思えるようになってから、罪悪感が減った。

休むことも仕事のうち

患者さんのケアをするためには、自分の体と気持ちが整っていなければならない。ボロボロの状態で働いても、いい仕事はできない。

しっかり休んで、また動く。そのサイクルを大切にすることが、長く続けるための秘訣だと思っている。何もできなかった3連休も、必要な時間だった。

休みに「何もできなかった」と感じることはありますか?
それも立派な回復です。自分を責めなくていいと思います。

「何もしない」ができなかった

連休になると、何かしなきゃという気持ちが出てきていた。旅行に行く、家の掃除をまとめてやる、子供とどこか連れて行く。そうしないと、連休を「無駄にした」気がしていた。看護学校のときは連休があっても勉強していた。だから「休んでいい日」が来ても、頭が「何かしなきゃ」と言ってくる。その癖がなかなか抜けなかった。

休むことを「許可する」ことが難しかった

自分に「今日は休んでいい」と言うのが、難しかった。疲れていても、「これくらいで疲れているのは甘えだ」と思っていた。でもその3連休は、体が動かなかった。だから諦めた。子供のご飯だけ作って、あとはだらだら過ごした。それをしてみたら、意外と大丈夫だった。世界は終わらなかった。

だらだらする日も、必要だ

あの3連休以来、「何もしない休日」を少し肯定できるようになった。ブログを書かなくていい日もある。家の片付けをしない日もある。それで、次の週がまた動ける。頑張り続けることが美徳みたいに思いやすいけど、休むことも仕事のうちだ。特に40代は、疲れの取り方が下手になってくる。意識して休まないと、どこかで倒れる。何もできなかった3連休は、それを教えてくれた連休だった。

「できない日」があっていい

何もできなかった3連休のことを、後から振り返ると「あれでよかった」と思える。当時は少し罪悪感があったけど、今はない。あの3日間で体が回復した。連休明けの仕事が、少し楽だった。それが答えだった。

ブログも書かない日がある。家事をほとんどしない日がある。子供のご飯だけ作って、あとは横になっている日がある。それが「ダメな日」じゃなくて、「必要な日」だと思えるようになってきた。毎日全力でいられるほど、私は体力がない。そしてそれは、恥ずかしいことじゃない。

40代で、看護師で、子供2人を育てて、ブログを書いている。それだけでかなりやっている。「できない日」があって当然だ。できない日の自分を責めないことが、続けていくための秘訣だと、最近やっと気づいてきた。

「できない日」があることを、今は自分に許している。それができるようになったこと自体が、ここ数年の変化だ。頑張りすぎることが美徳だと思っていた頃より、今の方がずっと楽に生きられている。何もできなかった3連休は、そのことを教えてくれた大切な時間だった。

あのときの選択が今につながっている。迷っていた自分に、後悔はない。むしろ、あの岐路に立ったことで、今の自分がある。どんな状況でも、動いた人間だけが次のステージに進める。そう思いながら、今日も仕事に向かっている。

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